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板絵智光曼荼羅について

  • 写真01

    板絵智光曼荼羅

  •  写真02

    絹本智光曼荼羅(軸装智光曼荼羅)

国指定重要文化財
板絵智光曼荼羅

特別開扉 板絵 智光曼荼羅 12世紀末
板絵彩色 額装
縦217.0cm 横195.0cm

智光曼荼羅は、天平時代の元興寺三論宗(南都六宗のひとつ)に属した学僧、智光法師が所持した阿弥陀如来の極楽浄土を表現した図像です。

慶滋保胤が永観2年(984)に撰述した『日本往来極楽記』には夢の中で極楽浄土のさまを感得するに至った智光と頼(礼)光にまつわる説話が記されています。智光の住房は極楽浄土の絵があったことから、極楽坊の名が生じたといいます。平安時代後半からは百日念仏講(講衆が百日間念仏を唱えることによって1人を送り出す行い)が営まれるなど南都における阿弥陀浄土信仰の中心となり、極楽往生の場、つまり往生極楽院としての意味もありました。

原画は中国・唐代に流行した阿弥陀浄土変相図とみられ、本曼荼羅の池の左右の橋上に坐る2憎は、さきの説話をもとにして書き加えられた智光と頼光の姿とする説もあります。のちの智光曼荼羅図とも細かな点で異なっていることも注目されます。浄土教では古来、智光(元興寺)・法如中将姫(當麻寺)・清海(超昇寺)の浄土三曼荼羅のひとつとして数多く写されたといいます。

デジタル近赤外線撮影画像によると、彩色下になされた下書き線を見事に捉えており、細緻な文様の古式なようすや菩薩衆のもつ楽器などの細部が判然としています。中尊や諸菩薩の描線は優れて力強いものがあり、豊かな頬や弧線の大きく張った眉、あるいは切れ長の目にみる理知的な表現など、鎌倉時代の予兆がみえます。

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1300年つづく、はじまりの地。
奈良の国宝・世界文化遺産。