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    2011.02.11~2011.02.27

    企画展|元興寺 須田剋太展

    概要

    特別展チラシはこちら

    図録在庫有(元興寺発行)

     

    会場:国宝禅室

    ※国宝禅室は通常非公開

     

    須田剋太画伯から元興寺に寄贈された
    大衝立六枚(表裏十二面)ほか70点余りの作品を
    国宝禅室にて公開します

    図録 2,000円 (展示全作品紹介 会場にて販売)

     

      

    (左)花無心、(右)赤とんぼ

     


    元興寺の須田剋太作品 
    ―真言律宗 元興寺住職 辻村 泰善


    元興寺と須田画伯との関係は、戦後の国宝建造物昭和重修事業と国土復興に係わる精神再生事業を目指した元興寺中興の祖、辻村泰圓大和尚との縁から始まりました。
    敗戦後の日本では、引き続き行われてきた文化財保護事業を通して、経済的不安、人心の荒廃を再興しようとする気運がありました。すなわち、文化人による奈良の文化財・文化に対する再認識、再評価運動であります。和辻哲郎の「古寺巡礼」、亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」、會津八一の「南京新唱」などの存在が大きな意味を持ちました。
    そんな中で、奈良では志賀直哉の「高畑サロン」を受け継いだ東大寺の上司海雲大僧正の動きは、特に高質の文化的活動であり、伝統仏教の活性化に一石を投じた事は否めない事実でありました。
    昭和21年4月21日に東大寺観音院で「天平乃會」の発会式が行われ、須田剋太、杉本健吉、水島弘一、池田小菊、橋本都耶子など20名の芸術家、文化人が集まって活動を開始しています。その会誌『天平』によると、昭和21年9月26日の高野登山の記録に、「姪に高野山に嫁いで塔頭中性院に假寓するあり」とあり、赤不動、二十五菩薩来迎図拝観のため、河合卯之助、杉本健吉、須田剋太、入江泰吉等と遍照光院に泊まり、「五来重高野山大学教授、辻村泰圓図書館司書(姪の主人)らと談笑」とあります。つまり、ここで初めて、辻村泰圓と須田剋太達は運命的な出会いをしたのでありましょう。これ以来、元興寺は、「天平乃會」の人々に支えられてきたようです。
    昭和22年8月、安倍能成、上司海雲、駒岡乗圓、栂尾祥雲、干潟龍祥らが発起人となり『元興寺極楽坊(極楽院)復興後援会趣意書』が作成され、会員募集が始まり、文化財解体修理事業の勧進や、宗教行事の復活、社会福祉事業の展開がされていきました。
    たとえば、今に続く元興寺地蔵会が昭和23年に復興、境内の極楽院保育所開設が昭和24年、献灯供養は昭和31年に安倍能成・上野直昭・上司海雲・杉本健吉、須田剋太等諸先生が発起人となって始められたのであります。また、節分会の復興、元興神(がごぜ)絵馬授与は、昭和27年のことでした。爾来、元興寺は、事ある毎に須田剋太画伯に作品の提供をお願いしてきました。
    元興寺所蔵の須田剋太作品は、辻村泰圓大和尚の時代に奉納されて遺されたものと、追善供養に納められたものを纏めて、昭和61年に泰善晋山記念の特別展に記録されたもの、これを機会に追加奉納されたもの、更に昭和62年、古材大衝立6脚12面に描かれたものからなります。抽象画、具象画、書ですが、ジャンルのこだわり無く感動されたものを魂で表現されたように感じます。須田先生は多作でありましたが、その主なモチーフが遺されました。須田剋太ファンはもとより元興寺にとっても大切な宝物となりました。
    元興寺の須田剋太作品が投げかける根源的な問いかけを、想起し味わってみようではありませんか。あるいは、心の奥底から元気が顕れてくるのを感じましょう。 

     

    須田剋太画伯 略歴 (元興寺との関係)
    1906(明治39)5月1日埼玉県吹上町で出生(0歳)

    1940(昭和15)光風会会員

    1942(昭和17)奈良東大寺観音院に假寓

    1946(昭和21)天平乃會の発足参加・新樹会を結成

    1949(昭和24)国画会会員

    1952(昭和27)現代美術懇談会(ゲンビ)の創立参加

    1956(昭和31)元興寺地蔵会献灯発起人。以来毎夏作品寄進

    1959(昭和34)吹上町文化連盟文化功労賞受賞

    1964(昭和39)西宮美術協会会長

    1966(昭和41)関西国画会創立

    1967(昭和42)元興寺研究所・いこま乳児院創設に作品寄贈

    1970(昭和45)週刊朝日連載、司馬遼太郎「街道をゆく」の挿絵を始める

    1971(昭和46)兵庫県文化賞受賞

    1976(昭和51)吹上町文化功労賞受賞

    1977(昭和52)大阪芸術賞受賞

    1978(昭和53)元興寺中興泰圓大和尚遷化に作品を捧げる

    1983(昭和58)「街道をゆく」の挿絵で講談社出版文化賞受賞

    1984(昭和59)泰圓大和尚七回忌に作品を捧げる

    1986(昭和61)辻村泰善元興寺晋山記念「須田剋太展」に作品を寄進

    1987(昭和62)元興寺特別講演に際し大衝立6脚(表裏12面)寄進

    1988(昭和63)フジ・サンケイグループ広告大賞「バケーションをありがとう」の
    製作賞受賞・神戸新聞平和賞受賞

    1990(平成2)7月14日兵庫県神戸市で逝去(84歳)

     

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